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土地の名前は光でできている

2003年10月10日(金)23:57きとら[Diary]

えと、最初に断っておきますと、今日の日記は少し堅めな内容でお送りしますので ご了承を~(´`)

16年度開業予定の「つくばエキスプレス」の駅名が決定したようです。
まぁ、ある程度予想はしてたんですが…ここまでひどいとは。
「葛城」は「研究学園」、「島名」は「万博記念公園」、「萱丸」は「みどりの」、「伊奈谷和原」は「みらい平」…と、茨城県に新設される駅の全てが、今まで仮称となっていた地名を捨てたかたちになっています。
「たかが地名じゃないか」と思われるかもしれませんが、地名はその土地の歴史を表象するものだとボクは考えています。ゴダイゴが「名前~それは~燃える命~」と歌ったように(古っ)
そもそも、神代とは言い過ぎにしても、古くは上代から地域に根づいた地名を捨ててまったく関連のない、ただ「イメージのよさそうな」だけの地名に安易にすげ替えることは、いわば歴史に対する暴力的行為。しかし残念なことに、このような「人工地名」は、現在も全国で着々と生まれてます。たとえば愛媛の川之江・伊予三島を中心とする地域は「四国中央市」。山梨の中西部の町々は「南アルプス市」。高知の須崎市を中心とする地域は「黒潮市」。少しさかのぼると大宮・与野・浦和の三市が合併した「さいたま市」ってのもありました。
もうね、アホかと、バカかと。四国中央市の例では、おそらく選考委員は「『中央』という名前は明るく進歩的なイメージですからね~」とか「昔ながらの『宇摩』じゃ誰も読めそうにないですからね~」とか考えたに違いない。10万人に満たない規模なのに、「四国の中心に位置するから『四国中央』だ」だなんて安直すぎるし、あまりにも尊大すぎるでしょ。「僭称」と言っても差し支えないと思います。実際、「四国中央って名前なんていやだ」と住民による署名活動が行われました…が、どうやらにべもなく反古にされてしまったようです。
「南アルプス市」も、伝統的な「赤石山脈」という名称があるのに、わざわざ「アルプス」なんていうヨーロッパの名前を「拝借」してますし。ヨーロッパ人がこの地名を聞いたらどう思うのかなぁとか思っちゃうんですが、竜界に南アルプス市生まれの方がいるのでこれ以上は書きません(爆)。
さいたま」「にかほ」「さぬき」「東かがわ」「いの」「ひらなみ」に代表されるようなひらがなの市名・町名も、「優しくて柔らかそうなイメージ」が選考委員の間で受けてるようで、採用する自治体が全国で急速に拡大しています。悲しいかな、ボクも含めて、自分の住む(あるいは住もうとしている)地域の地名はポジティブなイメージのほうがいいよなぁと思ってしまうのは事実で、「こんなピースな愛のバイブスでポジティブな感じの名前の街に住む私ってステキよね」(脳内流行中)と思ってしまうセレブ志向のパパママもきっといることでしょう。ただし、さいたまFlashがあれほどヒットした背景には、市域外の住民が「さいたま」という字面にどこか「バカっぽさ」を感じたからではないでしょうか(100万人のさいたま市民よスマヌ)。まぁでも「ミレニアム市」よりはマシだったけどね☆


またそれとは別のところで、前述したような「誰にも読めるような地名を」という意識も作用しているような気がします。でも、「宇摩」「埼玉」じゃ読めないだろうというのは余計なお世話、過剰サービスであって、日本人のリテラシーをバカにしているんじゃないかと思うんですよ。えぇ。むしろ自治体は、施策や特産品や伝統などでその魅力をアピールするべきで、「別にこれといった特徴もないから奇抜な名前にしよう」というのはあまりにも卑屈な考えで、最初からその努力を怠ってしまってはいないでしょうか。少なくとも、地域住民や委員会がその地域への「誇り」ないし「愛着」を持っていれば、地名の安易な「剥奪」を考えることはないはず。
でもまぁ、いろんな自治体を一つにする上では、どんな地名にするのか、市役所はどこに設置するのかなどいろんな力学や駆け引きがありますから、地名がその犠牲となってしまうのは昔からよくあることだけどね(´・ω・`)

そのような意味で、最初に紹介した「つくばエキスプレス」の件で、茨城県内の新設駅の地名が その土地の歴史と乖離した当たり障りのない「人工地名」になってしまった背景には、「『田舎』というイメージから脱却したい」「何が何でも人口を増やしたい」という、高度経済成長が生み出した右肩上がりの発展神話の裏返しとしての地域住民のコンプレックス、焦りが露呈しているようにボクには思えるんです(300万人の茨城県民スマヌ)。
長くなってしまったけど、「地名」とはその地域のアイデンティティ、歴史であって、一旦失われてしまうと取り戻すことは決して容易ではないんだよというのがきとらの訴えなんです。

燃えあがるカーテンの上で
煙が風に
形をあたえるように
名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている

 (大岡信『地名論』)

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