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『<民主>と<愛国>』/『倫理21』

2004年5月11日(火)23:10きとら[Books]

ふと気づいてみると、長いこと延滞しちゃってました(汗) と言っても巷で話題の国民年金のことじゃないです。学生なんで支払いは猶予してもらってますので…。

ISBN:4788508192延滞していたのは、日本史学界のサラブレッドである小熊英二の『<民主>と<愛国>』。ヒマな時に少しずつ読んでいこっかな~なんていう甘い考えが大きな間違いでした…。
この本の何がスゴいかというと、まず あわや1000ページの大台に乗りかねないほどのぶ厚さ! プロレスでタウンページを凶器に使うシーンを羽生生純あたりが漫画で書いてたのを小さい頃に読んだ気がするんだけど、何せこっちはハードカバー。持っているだけで知性のオーラが出現するという副次効果つき! 凶器にはもってこいですぞ奥さんッ!

いやこういう話がしたいんじゃないんですよ。戦後から間もない混沌とした時代の、混沌とした文壇、思想界、右翼・左翼の緊張感やダイナミズムをリアルに感じることができる名著です。いかに「戦後思想」なるものが遡及的に形作られたのか、いかに僕たちがそのステロタイプにとらわれて知ったかぶっていたのかをも指摘されているようで、歴史を勉強してきた人間にとっては ちょっと不面目(´`;)


あらすじはこんな感じ。

太平洋戦争に敗れた日本人が、戦後いかに振舞い思想したかを、占領期から70年代の「ベ平連」までたどったものです。
戦争体験・戦死者の記憶の生ま生ましい時代から、日本人が「民主主義」「平和」「民族」「国家」などの概念をめぐってどのように思想し行動してきたか、そのねじれと変動の過程があざやかに描かれます。

ISBN:4-582-76471-1話は変わって、平凡社ライブラリーから出ている柄谷行人の『倫理21』。先月に書店で見かけて一目惚れした本です。 『<民主>と<愛国>』と同時並行でこっちも読んでたわけですが、論点が重複しているところが多くてちょっと意外でした。「戦後」を描く際には、日本の「戦争責任」への言及は必然的なものになってしまうのかな。

こっちは、先月の人質事件で「責任」っていう言葉を、日本人みんなが思い出したように使いはじめるようになったことに疑問を持って、自分として「責任」とは何ぞやっていう倫理学的な問いへの回答ができるようになればいいなぁなんて思って読んでたものなんです、本当は。
手元の辞典によれば、「『責任』とは人間の意志の自由と、それに基づく『帰責能力(imputability)の不可避的帰結であり、己自身及び他社に対する義務を覚知し、充たす能力である。… (中略) …責任は一般に「何(誰)か(ex.己の行為)について、何(誰か)(ex.法、良心、神)を前にして(=審廷)責任を負う』という形をとる」(山川出版社『倫理思想辞典』)……だそうです(´д`;)ワカンネー
ちなみに「責任」は「義務」を伴うけれど、「~である」っていう定義から「~しなければならない」っていう結論を導き出すのは、論理学では難しいらしいです。ムーアの「自然主義的誤謬」ってヤツです。 ボク自身は、「義務」を導出するには、一層上のレベルに「信仰」や「神」っていう概念を置くしかないんじゃないかなぁなんて思いますが(´`)

記号論理学とメタ倫理学についてはずぶの素人なんで 話を戻すと、責任とは何かを突き詰めていけば、我々には「生まれてこない世代(未来)に対する責任はあるか」「死者(過去)に対する責任はあるか」っていう、これはこれで環境倫理学の分野の議論になっちゃいそうな とても大きな2つの命題にぶち当たらざるを得ないんじゃないかな、と。
こで「信念」「信仰」を心の中に持っていれば大して考える必要もないのかもしれないけど、あいにくきとらは「神は死んだ!」とか叫ぶほどでもないですがそんなに信心の篤い人間ではないので(ちなみに曹洞宗☆)、これからずっと、生きていく限り悩んでいかないといけない気がしてます。

うーむむ、カントやサルトルあたりから勉強し直す必要があるのかなぁ・・・つかもう5年生だよオイ(´д`;)

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